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最近の経済事情
ー失われた10年とその後の好景気ー

1990年から2008年までの日本経済の概略

一言でまとめると・・・
 
1990年代は、バブル崩壊により平成不況の10年間であった。90年代の初めにバブルが崩壊し、平成不況に陥った。その後、95年頃には、阪神淡路大地震と携帯電話の爆発的ブームにより景気は回復しかけた。しかし、97年の消費税率の引上げ、財政再建による政府支出の削減などにより、再び不況へ転落。その後、小渕内閣の財政再建棚上げによる積極的な財政政策と、金融安定化策による金融不安の沈静化により、景気は下げ止まりました。しかし、小渕首相の急死後、再び不況へ。
 しかし、2001年を底として、景気は回復しし続け、2007年のサブプライムローン問題による景気後退まで戦後最長の好景気となる。2007年、アメリカのサブプライムローン問題をきっかけに景気は後退し、、2008年のリーマンショックによって景気はさらに悪化。

1990年から2008年のポイント

  時系列に見てみましょう。

1990
(H2)
株価下落  
1991
(H3)
地価下落 バブル崩壊 91年より景気悪化平成不況
1995
(H7)
阪神・淡路大震災後の復興需要、携帯電話の急速な普及など通信の新規需要  景気回復基調へ
1997
(H9)
4月 消費税率の引き上げ。橋本内閣による財政再建が本格化し、財政構造改革の推進に関する特別措置法成立。 
 また、銀行の自己資本比率低下著しく、経営不安が起こる。山一証券破綻、拓銀破綻により、一気に金融不安が増す。日本の銀行というだけで、優良銀行まで借入金利が上乗せされてしまうという、
ジャパン・プレミアム問題が出現。
 そこで政府は、金融システムの安定化策(第1弾)をおこない、金融システム安定化法で、公的資金注入の仕組みを確立し、改正預金保険法により、預金保護を行う。
消費税率引き上げを機に4月より景気後退し、平成不況の長期化へ



金融不安収まらず
98(H10) 日本列島総不況 − 多くの企業が減収減益。
金融監督庁発足。大蔵省の不祥事、大蔵省の金融行政の不透明さに批判が集中し、大蔵省から、金融機関の検査・監督権限を分離し、金融監督庁を設立。ただし、金融危機の管理などの金融に関する企画・立案などの権限は大蔵省に残り、金融と財政の分離は不徹底に終わる。
 
1999
(H11)

デフレ・スパイラルの懸念がしきりに議論される。2月 日銀は空前の金融緩和策である「ゼロ金利政策」を開始。小渕内閣は、総合経済対策、緊急経済対策など積極財政政策を行い、財政構造改革停止法を成立。財政再建より不況対策優先を明確にする。
 また、金融システムの安定化策(第2弾)として、金融再生法により、長銀特別公的管理へ。日債銀も特別公的管理へ。また、金融機能早期健全化法により、銀行への公的資本注入を可能とした。 このような金融危機を管理する組織として、金融再生委員会が発足。金融監督庁は、金融再生委員会の下部組織となった。       


小渕内閣による財政再建の一時棚上げ


金融不安も一段落、

不況に下げ止まり感
2000
(H12)
公共工事・IT需要に支えられて景気は回復し、8月にはゼロ金利政策は解除される。しかし、企業のリストラは本格化し、失業率は悪化。景気が回復しても雇用が増えないので「ジョブレス・リカバリー(仕事なき景気回復)」といわれる。倒産後の企業再生を迅速に行なうことができるように民事再生法が施行される。倒産件数は多く、そごうが倒産し民事再生法による再生を始める。金融監督庁は、大蔵省に残っていた金融行政企画立案業務を統合し、金融庁と改組される。 景気回復へ
2001
(H13)
ITバブル崩壊によるIT需要の減少、米国の景気後退により、景気は再び悪化。3月には、日銀はゼロ金利政策よりも徹底した金融緩和である「量的金融緩和」(日銀にある市中銀行の預金量を増やす)を導入。銀行間の金利は再びゼロへ。4月には「聖域なき構造改革」「構造改革なくして景気回復なし」というスローガンの小泉政権が誕生6月には、「今後の経営財政運営及び経済社会の構造改革に関する方針」(いわゆる「骨太の方針」)を決定、23年内に不良債権問題を処理、2002年の国債を30兆円以下とするなどを定める。9月、米国同時多発テロが発生し、米国の景気悪化の影響を受け、さらに景気は低迷。 再び不況へ
2002
(H15)
アメリカ経済の回復、IT需要の回復を受け、景気は緩やかながら回復。日本にとっては初めてとなる2国間経済連携協定(EPA: Economic Partnership Agreement)をシンガポールと締結。 景気回復
2003
(H16)
りそな銀行が経営危機に陥り、政府が2兆円を出資し、実質的に国有化。世界経済の回復にあわせて輸出が増加し、設備投資も伸び、景気回復の動きが強まる。 景気回復
2004
(H17)
不良債権問題の処理も進展し、輸出と設備投資による景気回復が消費の回復につながり、裾野の広い景気拡大となる。それに伴い、都心部では地価が上昇に転じ始める。 回復から景気は拡張へ
2005
(H18)
景気は拡張を続け、経済財政白書は「バブル後からの脱却」を宣言。しかし、景気は地方格差があり、都会と地方、正社員と非正規労働者などの「格差」が問題視される。郵政民営化を争点とした解散・総選挙(いわゆる「郵政解散」)で与党が圧勝し、郵政民営化関連法案が成立日本道路公団が分割民営化される。 好景気が継続
2006
(H19)
好景気の中、3月、日銀が量的緩和解除、7月にはゼロ金利政策も解除。11月、戦後最長の好景気であった「いざなぎ景気(4年10ヶ月)」を超える戦後最長の好景気となる。9月、安倍政権誕生、経済成長路線を打ち出す。 好景気が継続
2007
(H20)
7月にアメリカでサブプライムローン問題(低所得者向け住宅ローン証券焦げ付き問題)が発生。金融機関が多額の損失を被り、金融危機へ。株価が下落し、深刻な不況へ。9月、安倍内閣総辞職、福田内閣誕生 景気後退。
2008 9月、リーマンショック(アメリカでは金融危機の中、名門証券会社リーマンブラザースが経営破綻)。世界的金融不安となり、世界的な株価下落、世界同時不況の深刻化へ。福田内閣総辞職、麻生内閣誕生。10月、日銀は利下げに政策転換。政府は、定額給付金支給、高速道路料金引き下げ等を含む、事業規模26.9兆円の「生活対策」を策定。 景気はさらに悪化。

論争―景気回復は構造改革によるものか、周期的なものか?

2002年以降の景気回復を「構造改革の成果」と考えるか、「構造改革がなくても周期的に起こる景気回復」と考えるかは見解が分かれています。その判断は非常に難しいのです。

不良債権問題を短期間で解決したという点、財政赤字の拡大に歯止めを掛けたという点では「構造改革の成果」といえるでしょう。しかし、不況期の財政再建路線が景気回復を遅らせ、株価を下落させた結果、株式を大量に保有する銀行の財務体質を悪化させ、不良債権処理を困難にしてしまった面もあります。また、公共工事削減が需要を減少させ景気悪化を深刻化させた面も大きいと思われます。


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